(聞き手)
当時の対応でうまくいった事を教えてください。
(鈴木様)
津波が来る事がわかり、
備蓄されていた物をすぐ2階に運び上げた事です。また、建築業者がストーブや石油を、事前に2階に運び上げてくれていた事も幸いしました。
(聞き手)
当日はかなり寒かったですね。
(鈴木様)
屋上に上がって、最初は雨でした。子どもたちに布団か何かを被せていたのですが、徐々に雪に変わって来たので、建築業者の方が、手すりにロープを張ってブルーシートで屋根を作ってくれて、つい立を用意して壁の代わりにし、そこに、子どもたちを入れました。
布団を2階から屋上に運んでくれた先生はずぶ濡れの状態でしたが、周囲の警戒もしてくれました。
そのうち水が引いたので、2階に戻りました。
それから、
自衛隊に勤めている保護者の方が様子を見に来てくれて、水が引いたら
自衛隊の車で迎えに来てくれることになりました。
そして、夜10時頃にトラックが迎えに来てくれて、多賀城駐屯地に行きました。
(聞き手)
多賀城駐屯地はどんな様子でしたか。
(鈴木様)
地震の揺れが続いていたので落ち着けませんでしたが、
自衛隊の方が来てくれたので、とりあえず安心しました。
多賀城駐屯地に行ったら、
自衛隊の建物の1階部分は浸水していたため、2階に案内してもらいました。
2段ベッドが何台かあって、ロッカーとソファがあった部屋だったので、他の避難所に比べれば、かなり優遇されていたと思います。
(聞き手)
他の人たちも避難していましたか。
(鈴木様)
はい、同じトラックに近所の人も乗りました。恐らく数百人はいたと思います。
自衛隊の体育館にいた人たちは毛布だけで過ごしていましたし、同じ隊舎の中でも、ストーブがない所もありましたので、私たちはかなり優遇されていたと思います。
子どもにミルクなども飲ませなくてはならないのですが、停電していたので、お湯をもらえるまでは、哺乳瓶を懐に入れて冷めないようにしていました。
(聞き手)
自衛隊には何日ぐらいお世話になりましたか。
(鈴木様)
4泊5日です。
(聞き手)
特に、大変だったことは何ですか。
(鈴木様)
子どもたちは、初日は、怖さから大人しくしていたのですが、やはりストレスが溜まってきて、3日目にもなると走り回ったり、はしゃぎ出したりしてしまいました。
先生たちは初日は徹夜でしたし、家族と
連絡が取れない先生もいたので、先生たちの方がくたくたになっている様子でした。
(聞き手)
多賀城市の、今後の復旧・
復興に向けての考えや意見はありますか。
(鈴木様)
多賀城市は比較的、復旧がスピーディーで判断も早く、その後の対応も良かったように思います。
特に、がれきの処理が早かったように感じます。
自衛隊さんには、震災直後に、水や食糧、衣類に寝具も頂けて、とても良くして頂いたので助かりました。
また、
復興の第一歩として全国から他の部隊が集結するにあたり、隊舎を出て本来の指定避難所に移動するように求められました。
しかし、他の避難所は食や暖の確保もままならないという情報もあったので、着の身着のままで避難して来た方たちの中には、「俺たちに死ねって言うのか!」と怒鳴る場面を見かけましたが、話し合いをして、移動することになりました。
説得に当たられた
自衛隊の方は辛かったと思いますが、職務を遂行する姿は、毅然としてみえました。
(聞き手)
東日本大震災を経験して得た教訓などがあれば教えて頂けますか。
(鈴木様)
よく言われているのは、遠くに逃げるよりも高い場所へ逃げなさいという事です。先ほどの件ですが、やらなくてはならない事を貫くためにに
行動する強さが大切だと学びました。