防災・減災への指針 一人一話

2013年11月18日
大人の元気が子どもを安心させる
大代保育園園長
鈴木 慶祐さん

毎月1回の避難訓練

(聞き手)
 震災前には、どのような備えや対策を取っていたのでしょうか。

(鈴木様)
 震災前の備えや対策ですが、毎月1回、避難訓練をしていました。
火災や水害、地震の訓練をしていましたので、震災時は、それなりに素早い避難行動が取れました。
当時はこの園舎が出来て、引き渡しを受けた週でしたので、2階や屋上に避難しました。水や非常食も備蓄しておりましたので、救助してもらうまではそれらを利用して過ごしていました。
その辺りは、訓練通りに行えました。

(聞き手)
 具体的にはどのような物を備蓄されていたのでしょうか。

(鈴木様)
当時は水とクラッカー、あとはおにぎりなどです。

(聞き手)
園長先生は、これまで大きな災害の経験はありますか。

(鈴木様)
宮城県沖地震を経験しました。ですが、今回の地震がこんなに強く長く揺れるとは思いませんでした。

(聞き手)
 高い確率で、宮城県沖地震が発生すると言われていましたが、災害は意識されていましたか。

(鈴木様)
 スマトラ沖地震の映像を見ていたので、高い所へ逃げる、浮いているものにしがみつくということは意識していました。
震災時は、貞山堀から水が溢れてきた時には、これはもしかしたら津波が来るかもしれないと思いました。
その時には。園舎屋上にいて、「もし津波の水が来たら力まず、浮かんでいるものにしがみついてください」と伝えました。
突然大声を出すとパニックになると思ったので、穏やかに言いました。
まずは心の準備をさせようと思っていました。
それからさらに水位が上がったら、どうするかの指示を出そうと思っていましたが、2メートルくらいの水位で止まり、その後は水が引きました。

(聞き手)
 地震の後に津波が来るという意識はありましたか。

(鈴木様)
地震の直後は、何より子ども達の状況が気になりました。最初、地震や津波に関する情報はラジオと、近くにいた建築業者の方から教えて頂きました。
普通なら地震があると揺れが収まるまで緊張が保たれるのですが、そのときはあまりの長時間の揺れにふっと緊張が切れてしまいました。
そして、子どもに覆いかぶさりながら窓の外を見ると、建物がぐらぐら揺れているのをみました。
自然に対する無力感を感じました。

避難専用リヤカー

(聞き手)
 避難訓練備蓄も含めて、今後に向けて、訓練をこのようにした方が良いとか、これを新しく備蓄しておいた方が良いとか、そういった発見はありましたか。

(鈴木様)
保育園には、子どもたちを乗せて歩くお散歩車というものがありますが、誰でもすぐに使えるようにはなっておらず、かえって時間がかかって逃げるのが遅れてしまう可能性があります。
ですので、逃げるための専用リヤカーなどを用意しておけば、誰でもすぐ子どもを乗せて、みんなで引っ張っていけると思います。瞬時に行動が出来るようにすることが肝要でしょう。

(聞き手)
 発災直後の行動や出来事で、印象に残っていることはありますか。

(鈴木様)
 子どもたちが、お昼寝から起き出すような時間帯で、きちんと安全対応が取れているかどうか確認するために、1階から2階を行ったり来たりしていました。
防災の責任者として、周囲との連絡などの総括的な取りまとめの役割がありました。

(聞き手)
当日は、先生方と園児はそれぞれ何人ぐらいいらっしゃったのでしょうか。

(鈴木様)
先生は15~16人ぐらいだったと思います。園児は50数名いました。

(聞き手)
園長先生から見て、園児たちの様子はどうでしたか。

(鈴木様)
 あまりにも揺れが凄すぎて、子どもたちは言葉も出ていませんでした。先生たちも表情は強ばり、言葉は発していなかったと思います。

(聞き手)
特に園長先生から見て、印象に残っている先生方の対応はありますか。

(鈴木様)
部屋の中央に園児を集めて布団をかぶせて、そこに覆いかぶさるようにしていました。
あるいは、押し入れに入り、園児たちを守っていました。

津波から守った備蓄物資

(聞き手)
 当時の対応でうまくいった事を教えてください。

(鈴木様)
津波が来る事がわかり、備蓄されていた物をすぐ2階に運び上げた事です。また、建築業者がストーブや石油を、事前に2階に運び上げてくれていた事も幸いしました。

(聞き手)
当日はかなり寒かったですね。

(鈴木様)
 屋上に上がって、最初は雨でした。子どもたちに布団か何かを被せていたのですが、徐々に雪に変わって来たので、建築業者の方が、手すりにロープを張ってブルーシートで屋根を作ってくれて、つい立を用意して壁の代わりにし、そこに、子どもたちを入れました。
布団を2階から屋上に運んでくれた先生はずぶ濡れの状態でしたが、周囲の警戒もしてくれました。
そのうち水が引いたので、2階に戻りました。
それから、自衛隊に勤めている保護者の方が様子を見に来てくれて、水が引いたら自衛隊の車で迎えに来てくれることになりました。
そして、夜10時頃にトラックが迎えに来てくれて、多賀城駐屯地に行きました。

(聞き手)
多賀城駐屯地はどんな様子でしたか。

(鈴木様)
地震の揺れが続いていたので落ち着けませんでしたが、自衛隊の方が来てくれたので、とりあえず安心しました。
多賀城駐屯地に行ったら、自衛隊の建物の1階部分は浸水していたため、2階に案内してもらいました。
2段ベッドが何台かあって、ロッカーとソファがあった部屋だったので、他の避難所に比べれば、かなり優遇されていたと思います。

(聞き手)
他の人たちも避難していましたか。

(鈴木様)
はい、同じトラックに近所の人も乗りました。恐らく数百人はいたと思います。自衛隊の体育館にいた人たちは毛布だけで過ごしていましたし、同じ隊舎の中でも、ストーブがない所もありましたので、私たちはかなり優遇されていたと思います。
子どもにミルクなども飲ませなくてはならないのですが、停電していたので、お湯をもらえるまでは、哺乳瓶を懐に入れて冷めないようにしていました。

(聞き手)
自衛隊には何日ぐらいお世話になりましたか。

(鈴木様)
4泊5日です。

(聞き手)
特に、大変だったことは何ですか。

(鈴木様)
 子どもたちは、初日は、怖さから大人しくしていたのですが、やはりストレスが溜まってきて、3日目にもなると走り回ったり、はしゃぎ出したりしてしまいました。
先生たちは初日は徹夜でしたし、家族と連絡が取れない先生もいたので、先生たちの方がくたくたになっている様子でした。

(聞き手)
 多賀城市の、今後の復旧・復興に向けての考えや意見はありますか。

(鈴木様)
 多賀城市は比較的、復旧がスピーディーで判断も早く、その後の対応も良かったように思います。
特に、がれきの処理が早かったように感じます。
自衛隊さんには、震災直後に、水や食糧、衣類に寝具も頂けて、とても良くして頂いたので助かりました。
また、復興の第一歩として全国から他の部隊が集結するにあたり、隊舎を出て本来の指定避難所に移動するように求められました。
しかし、他の避難所は食や暖の確保もままならないという情報もあったので、着の身着のままで避難して来た方たちの中には、「俺たちに死ねって言うのか!」と怒鳴る場面を見かけましたが、話し合いをして、移動することになりました。
説得に当たられた自衛隊の方は辛かったと思いますが、職務を遂行する姿は、毅然としてみえました。

(聞き手)
 東日本大震災を経験して得た教訓などがあれば教えて頂けますか。

(鈴木様)
 よく言われているのは、遠くに逃げるよりも高い場所へ逃げなさいという事です。先ほどの件ですが、やらなくてはならない事を貫くためにに行動する強さが大切だと学びました。

今回の経験を新しいマニュアルに活かす

(聞き手)
 子どもたちに、震災の話をする機会はありますか。

(鈴木様)
 子どもたちには特別何も言っていません。昨年の防災訓練の時に、消防署の方がみせてくれたDVDに津波の映像が出て来ましたが、子どもたちは特段驚くでもなく、普通に見ていたので、そろそろ津波のことを話しても大丈夫なのではないかと思うようになりました。
この前、多賀城東小学校への避難訓練をしました。
これまでは隊列を乱さないことを優先していました。しかし、今回は「隊列から遅れる子を待つのではなく、歩けない子は先生がサポートするので、どんどん進んでください」と、方法を変えました。
そこで失敗したと思うことは、結局、歩けなくて遅れてしまう子が多くなってしまった場合に、その子どもたちを乗せるリヤカーを最後尾に残しておかなかった事です。
最後尾には必ず1台か2台、物や子どもを乗せるための、例えばリヤカーなどを用意しておく必要があります。

(聞き手)
 小さな子どもたちを率いての訓練を何度も行うのは、大変ではないですか。

(鈴木様)
 大変ですが、毎月1回、火災や地震を想定して行っているので、避難に関しては、良い結果が得られています。

大人の元気が子どもを安心させる

(聞き手)
 防災能力を小さい時から少しずつ強化していく事が大事ですが、子どもには、大人にも増して、メンタル面などの対応に、特に気を配らないといけないですね。

(鈴木様)
 そうですね。震災時は子どもなりに異常事態を察したようでした。やはり、その場の雰囲気や大人の顔色を見てわかるようです。
震災後に研修をした時の話なのですが、大人が元気であることで、子どもは安心して成長していけるという話がありました。
だから、大人には休息・息抜き・充電が重要で、大人も休みなさいということでした。

自助と共助の意識づけ

(聞き手)
 後世に伝えたい事があればお願いいたします。

(鈴木様)
 まず、よく言われているのが「人を助けるためには自分が助からなくてはいけない」という事です。自力で防災能力を身に着けていくことが一番でしょう。
それと、今の子どもたちには共助の精神を身に着けてもらえたらと思います。自分が、困っている人を守るという気持ちが育っていけば良いと思います。
真面目で一生懸命であることは恥ずかしいことではなく、大切だという事を、どんどん身に着けてほしいと思います。

(聞き手)
 震災を乗り越えられた一番の原動力は何だったのでしょうか。

(鈴木様)
 全職員の経験と頑張り、それに子どもたちの笑顔です。「おはよう」と返ってくるキラキラと輝く瞳に支えられて、ここまでやって来られたようなものです。
よくある言葉ですが、明るい未来のために子どもたちの安全と安心できる環境を守っていきたいという強い思いがあります。
仮設住宅に住んでいるご高齢の方が、子どもたちの挨拶を楽しみにしているという話も聞きますので、こういったことも大事にしていかなければと思っています。